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2014年5月31日土曜日

日本の伝統的教育「連帯責任」は時代遅れの教育

日本の学校には「連帯責任」という指導方法がある。
「連帯責任」は、欧米では借金の保証人という意味しかないが、
日本では「失敗はグループの全員の責任になる」という意味がある。
誰かひとりが仕事を怠けたり、誰かが遅刻をしたり、
誰かが悪いことをした時にもこれが適応され、全員が怒られる。
まじめに学校の仕事をしていた生徒も、「連帯責任」という理由で怒られる。
私の娘は「連帯責任」のせいで、毎日長時間怒られていた。
もちろん私の娘は、悪いことは絶対にしていない。

この理不尽な教育は、生徒を怒らせるだけで、
良い成果をもたらすことはない。
なぜ自分はまじめに仕事をしていたのに、怒られるのか、生徒達は疑問を持つ。
そして生徒たちは、怒られる原因を作った生徒に憎しみを感じる。
いつも同じ生徒が原因で、まじめな生徒が怒られ続けることがある。
まじめな生徒たちは怒り、怒られる原因を作った生徒を嫌って、仲間はずれにする。
彼さえいなければ、まじめな生徒は怒られることがなくなるのだ、とみんなが思う。

この教育を支持するのは、年をとった教師である。
若い教師は、年をとった教師に反抗することができない。
時には、校長でさえ、このような年をとった教師を諭すことができないでいることがある。
このような年をとった教師は、同じ学校に長く勤務していて、力を持っている。
この年をとった教師は全ての生徒から嫌われているし、
教師仲間の間でも、嫌われている。
しかし、犯罪を犯しでもしなければ、このような教師をやめさせることはできない。
日本の学校は「頭が狂っている」と生徒全員に思われている教師でさえ
やめさせることができない。
日本の学校では、教師がくびになる、というこはめったにない。
日本の学校は、このように生徒にとって理解のできない教師が多い。

私の娘の学校でも「連帯責任」という教育が行われていて、娘はとても嫌な思いをした。
私は、学校から教育に対するアンケートが送られてきた時に質問をした。
なぜ学校は「連帯責任」という教育をするのですか?
しかし、回答は返ってこなかった。
そして私はアンケートに書いた、生徒達は「連帯責任」のせいで、友人関係が壊れ、
まじめな態度をばかばかしく感じている。

「連帯責任」を強く何度も言われるのは、特に「運動会」の練習の時だ。
今日娘の学校は運動会だった。
娘は運動会を喜ばない。運動会が終って、もう練習がないことを喜んでいる。

日本の教育を監督する官庁は文部科学省だ。
文部科学省は「連帯責任」のような教育が日本中で行われていることをどう考えているのだろう。
私にはわからない。
ある研修会で、教師に配られた資料をネットで読むと、
「連帯責任といって、全員に罰を与えるのはよくない指導」と書かれていました。
文部科学省が推奨している指導ではないと思われる。

「連帯責任」は昔、戦争中の日本での基本的な考え方だった。
国民の連帯感のために必要な教育だったと考えられる。
しかし、このような教育は、今の日本には全く必要がない。
そして、このような考え方を支持する若者は日本にひとりもいない。
年をとった政治家の中には、ひとりの失敗を全員で償う、という教育を喜ぶ人がいるようだ。
そして、同じ政治家が「日本の子供に、世界で通用する教育が必要」とも言う。
これは矛盾している。
日本の「連帯責任」という理念が、外国で理解されることは絶対にないだろう。
日本の学生たちは、ネットに不満を書いている。
彼らは「連帯責任」にはもうがまんができない、と書いている

「連帯責任」という世界で絶対に通用しない考え方が、
日本の学校で教られることがなくなるように、私は望みます。
ある大学教授はテレビでこう言っていました。
「連帯責任、(平らに)ならしてみたらみんな無責任」だそうです。